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MHエステイト株式会社の平松真実が教える引っ越し時のご近所さんへの対応

平松真実地方から東京に出てくる学生が多いほか、更新のタイミングで引っ越しを決断する方もいます。こうした引っ越しの際にご近所さんに挨拶をする人が以前からおり、どのように挨拶をすればいいか悩んでいる方も珍しくありません。

 

不動産会社の社長として働く平松真実社長は、こうしたご近所さんへの対応についていくつかの考えを持っています。無理に対応するべきではないという考えもある中、できるだけ挨拶は済ませておくといいという平松真実社長の考えなどもご紹介します。

引っ越しの挨拶というより、事前にご迷惑になることを伝えておく挨拶

平松真実

平松真実社長が賃貸物件の入居者に対して伝えていることは、引っ越しをしましたという事後の挨拶ではなく、明日引っ越しをするので何かとご迷惑をおかけするという事前の挨拶の方がいいという点です。

 

多くのケースでは引っ越し業者がせわしなく動き、通路を塞ぐなど何かと周辺の方々に迷惑をかける形になります。この動きを見て、誰かが引っ越しをしてくるようだと知り、事後に挨拶をする形が一般的ですが、迷惑をかけた後に事後で挨拶を行うことはよくよく考えれば筋が通りません。

 

例えば、リフォームなど工事を行う際、ほとんどのケースは事前にその予定を伝え、粗品のようなものを周辺に配ります。そうすることで工事の存在を知り、粗品も受け取ってもらうことで、納得してもらうことができます。引っ越しの挨拶の考え方は本来はこれが理想的なのです。

 

最悪、引っ越し作業が始まる直前でもいいので少なくとも上下の階やお隣には挨拶を済ませるか、手紙を置いておくなど対応をしておくのが確実です。

家族と一緒に挨拶に行くのもおすすめ

平松真実

一人暮らしを行う学生を中心に、実は引っ越しの挨拶をしていない人が多く、引っ越しの挨拶=常識という時代が終わっても何ら不思議ではありません。面倒という理由のほか、一人暮らしを行う学生が女性だった場合、若い女性が一人暮らしをするという事実を広めることになるため、安全面の不安が生じるのも理由の1つです。

 

かといって、挨拶をしておかないと知らないところで心証を損ね、後で面倒なことが起きてもおかしくないと平松真実社長は考え、一人暮らしを始める若い女性に対してアドバイスを送ります。それはできる限り家族と一緒に挨拶を行うことです。1人で行くのと家族や友人など複数で行くのとでは、相手に与える印象はかなり違います。

 

万が一よからぬことを考える人物がいたとしても、家族などが出てくるとリスクがあると考え、手を出そうと思いにくくなるでしょう。安全面のリスク以上に、万が一トラブルが発生した際に多くの人に顔を知ってもらうことで、精神的に助かる部分もあります。

 

不安な部分もあるでしょうが、できる限り挨拶をしておいて損はないのです。

手土産はタオルが確実

平松真実

引っ越し前日や直前に挨拶を行う際、江戸時代は引っ越しそばを振る舞うという風習がありましたが、さすがに引っ越しそばを振る舞うのは時代に合っていないと言えます。平松真実社長はできるだけ食べ物は避けるべきと考えており、その理由は個人の好みの問題です。アレルギーの問題もあり、食べたいけど食べられないという問題が生じやすいのも背景にあります。

 

洗剤も候補に上がりやすいですが、人によってはこだわりが強く、もらっても使わないケースも。その点、タオルは大切に使うケースもあれば、掃除用に雑に使うケースもあり、汎用性が高いのが特徴的です。迷ったらタオルにするのが確実であると平松真実社長は考えています。

水谷将典株式会社Green社長 あえてお中元やお歳暮を贈ってみよう

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飲食店を経営する株式会社Greenの代表取締役社長水谷将典さんは、お中元やお歳暮などをなるべく贈るようにしているそうです。最近ではお中元やお歳暮の文化はそんなに活発には行われず、その手の贈答品を断る方もいます。その一方でお中元やお歳暮へのこだわりを見せ、あそこは実用的なおのを贈ってくれるのに、あの店はまたタオルだとケチをつける方も。贈り物を行い続けるのは色々気を遣いますが、それでもやめるべきではないと水谷将典さんは考えます。

贈られて迷惑なものはめったにない

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お中元やお歳暮を贈り、相手から受け取ることも当然ある水谷将典さんですが、今まででお中元やお歳暮を贈られて不快に感じたり、怒りを覚えたりしたことは当然ながらないと言います。そもそも贈っていただいたことへの感謝が先に来るため、不快に感じる意味がわからないだけでなく、基本的に百貨店などのお中元お歳暮コーナーでめぼしいものを探す人が多い中で相手に不快感を与えるものがあるとは思えません。

タオルを嫌がる人も中にはいますが、水谷将典さんはタオルの方がむしろうれしいと言います。普段の生活でタオルを購入するというのはあまりなく、誰かからのいただきものを頼りにしている部分もあるからです。不特定多数の人から一気にタオルを贈られたら話は別ですが、そんなことが起きるはずもありません。ゼリーや飲み物などがやってきても誰かに配ればいいだけのことなので、贈られて迷惑という代物なんて本来は存在しないし、まずは気持ちが大事なのではないかと水谷将典さんは考えます。

まかないで処理したことも

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お中元やお歳暮をもらう際に飲食店を経営していてよかったと思うこともあるようです。たまたまハムを複数の人に送ってもらった時の事。それなりにハムが手元にある状態になったため、これをなんとかしなければならないと頭を悩ませた水谷将典さん。それならばまかないで使ってもらおうとキッチンに持ち込み、ハムのステーキやチャーハンなど色々なものに活用していきました。

お中元やお歳暮のハムはそれなりに品質のいいもので、ハムのステーキが意外とおいしく、ちょっとしたぜいたく品なのではないかと思うほどだったと言います。1度ビールが何件か重なった際にはお酒が大好きな従業員で山分けしてもらうなど、余ったものはできるだけ従業員に還元するようにしているそうです。水谷将典さんだけでは処理できないというのも理由にはあったのですが、どんな経緯はあれど、おすそ分けをするというのはメリットしかない行為です。

とにかく考え過ぎず、思ったものを選ぶべし

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従業員の中に、人生で初めてお歳暮やお中元を贈る人も結構います。それは従業員と話をする際に、たとえ両親でもお世話になっているのだからお歳暮やお中元を1回は贈って、もういらないと言われたらやめればいい、まずは贈ることが大事だと伝えています。もちろん強制ではないですし、それは非合理的だ!と言われればその意見も尊重します。ですが、人に贈り物をすると相手からも贈り物が返ってくるため、そこで人脈、出会いにつながります。

タオルにしようかお菓子にしようかと色々考えている従業員に対して水谷将典さんが伝えるのは、まず相手のご家庭が何人いるかをチェックすることだそうです。もし1人だった場合に、大量のお菓子を贈ってもすべて食べきれない可能性があります。お酒であれば酒好きならかなり喜ばれるでしょうが、お菓子やジュースは1人ではさばききれないケースがほとんどです。

両親相手であれば趣味嗜好もわかっているので、それに合わせて贈ることもできます。ご家族相手であればタオルや洗剤の方が喜ばれやすいです。その程度の知識だけを入れ、変に悩んで奇をてらわないようにするのがいいでしょう。水谷将典さんは奇をてらって芳しくない反応が返ってきたことがあったそうです。

カタログギフトは無難だけども

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最近はカタログギフトを贈り、好きなものを選んでもらうケースが増えています。それは妙案であり、それ自体を否定する気は一切ないものの、相手の事を考えて気を遣う作業を減らすことへの心配を水谷将典さんは考えてしまいます。相手の事を考え、相手を思いながら贈るべきものを見つけていく、この作業は年間で限られる回数しかできないでしょう。カタログギフトを贈るのが逃げだとは言いませんし、その方が合理的でしょう。ただし、なぜお中元やお歳暮を贈るのか、その原点に立ち返った際、カタログギフトが本当に妥当なのかを考えてみるべきだと水谷将典さんは主張します。

船越洋平が断言する人間はダメな部分があってナンボという考えは大事。

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最近はクズ芸人と呼ばれる人が増えており、借金は当たり前、遅刻は平気でする、弱音は平気で漏らすなどクズっぷりを見せつけています。これに激怒する人が多く本気で毛嫌いする人もいるそうで、船越洋平さんの周りでもクズ芸人はいなくなってほしいと怒りの気持ちを持つ人物もいるんだとか。しかし、船越洋平さんの考え方は全く異なります。そもそも芸人はクズな人が多く、クズ芸人とレッテルを貼ること自体おかしな話しではないかと考えます。

そして、人間自体、クズな部分は必ずあるはずだと考えます。船越洋平さんの中にあるクズな部分、他の人の心にあるクズな部分はあって、いかにそれを隠して聖人、人格者のような振る舞いができるかどうかだと語ります。人間にはどのようなクズな部分があり、どのように隠しているのか、船越洋平さんは色々な実例を挙げて、クズについての解説を行っています。

 

クズ芸人は回り回って素直

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クズ芸人と呼ばれる人たちは、自分がいかにクズであるかを語るというよりも周辺の人たちがクズっぷりをプレゼンしたり、様々な言動を通じてクズっぷりを露呈させたりすることで、クズ芸人であることを周囲にアピールします。もちろん根底にはお笑い芸人としての面白さやスキルがあります。船越洋平さんの知り合いに芸人がいませんが、Webマーケティングの会社で働いていた時に一緒だった後輩に話を聞くと、テレビに出ているクズ芸人たちは素直な人が多いのではないかと言います。

芸人は安い値段で舞台に立たなければならず、舞台に出るお金だけで生活できる人はだいぶ限られ、バイトでの生活を余儀なくされます。しかし、そのバイトでの生活もそう簡単に行くものではなく、舞台を優先しなければならないため、稼ぎたくても稼げない状況になるのだとか。すると借金を自然とするようになり、それが積もり積もっていき、何百万円も借金をしてしまう人が出てきてしまうのだとか。しかも、1人や2人ではなく結構多くの芸人が借金を抱えるようになるのだそうです。

普通の感覚で言えば、そんなことは考えられず、船越洋平さんの考えでもあまり付き合いたくはない人物ということになりますが、逆にそのような人たちはクズであることを隠そうとはしないため、逆に清々しく、回り回って素直なのではないかと考えるようになります。生々しく素直とはかけ離れたクズな人物を船越洋平さんは多く知っているからで、もはやクズではないのではないかとすら思うほどです。

 

羊の皮を被ったクズ

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船越洋平さんがプライベートで知り合った人の中には、後々騙されてびっくりしたと語るクズな一面を持った人物がいたそうです。高校時代の教師がそれで、生徒指導で男女関係なく厳しく指導し、スカートの長さなどを厳しくチェックするような人物だったとのこと。今では考えられませんが、当時はまだ指導の一環と受け取られることも多く、公立中学や高校では物差しをスカートに当てて長さを測るケースもありました。実際に優しい部分もあったと語る生徒もおり、厳しい一方で人気を集める存在でもあったと船越洋平さんは言います。

しかし、そのさなか、その教師が生徒指導でスカートの長さなどをチェックしていた際、あまりにも短いと感じたのか、怒りのあまり、スカートを持ちあげてしまい、短いことを分からせようとしてしまったのです。いくらなんでもそれは問題となりましたが、この教師は一切謝ることもなく、むしろ単なる事故であり、言いがかりの部類ではないかと言い出したそうです。後で聞くと、まるで不慮の事故のようにスカートを持ち上げる行為はちょくちょくやっていたそうで、ただのクズだったというわけです。結局その教師は辞めることになりましたが、クズというのはどこにでもいるものだと船越洋平さんは振り返ります。

羊の皮を被ったクズは身の回りにいるもので、今も周辺にいるかもしれません。全幅の信頼を置いていた人物がとんでもないクズだったケースもありました。それは船越洋平さんに限った話ではなく、誰しもがそのような経験をするもので、船越洋平さん自身は全く驚かなかったそうです。人間はどこかにクズの一面がある、そう思うと気分がとても楽になるし、他人に期待をしなくなるというのが船越洋平さんの考えです。

 

自分のクズは棚に上げてはいけない

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船越洋平さんは片付けがあまり得意ではないというか、ついつい放置をしてしまい、掃除などもあまりしないと語ります。このため、家族は船越洋平さんに対して生活がだらしないと怒りますが、そんな家族もまた人間関係でトラブルを起こしやすかったり、お金をついつい無駄遣いしてしまったりと何かしらの問題を抱えます。これに対して生活がだらしないと言い返せば大喧嘩は必至。つまり、誰にでもクズな部分があって、それを他人に指摘することは、誰かに指摘されても受け入れざるを得ないことを意味します。そして、本物のクズは自分の事を棚に上げるのです。

人間は何かしら至らない部分があり、それが男性関係や女性関係、貞操観念の問題になる人もいるでしょうし、芸人のようにお金関係の問題になる人もいます。船越洋平さんのように片付けが得意ではないところに出てしまう人もいれば、時間にルーズなどの問題を抱える人も出てきます。誰かしら至らない部分は持ち合わせるわけですから、それをカバーし合うことが大事であり、自分のダメなところは棚に上げ、他人のダメなところを批判するようでは、自分がクズであることを単に証明しているに過ぎません。

もっと言えば、相手のダメなところを認め、自分のダメなところを少しでも直そうとする姿勢を見せることはとても大事なことだと船越洋平さんは語ります。船越洋平さんは片付けのルールを決め、1日30分は必ず掃除の時間に充てると決めて取り組んでいます。過去にだらしない姿を見せていた人の中には、あまりにも醜い姿を見せてしまい、これではいけないと一念発起し、ダイエットに成功したり、遊びをやめて仕事に専念したりする人もいます。誰かしらクズの部分はあるものの、そこで学んで成長を遂げる人もいるわけです。

 

クズに隠れる周辺の人物が実は一番クズの可能性

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クズ芸人に話を戻すと、実はその周りにいる人たちも実際はクズなのではないかと船越洋平さんは考えます。分かりやすいクズ芸人に話題が集中し、相対評価で相方の評価が上がります。しかし、よくよく話を聞いてみるとその相方もまたなかなかのエピソードを持ち合わせており、むしろ世間のイメージをひっくり返すようなレベルかもしれません。身の回りにおいても、素行が悪い人を説教する存在が実は裏ではとんでもなかったという経験もあります。もしそのような人物がいたら疑ってみてもいいかもしれません。

人間は基本的にクズな部分がある、そう思うと人間という生き物を可愛らしく感じるようになります。醜い部分があってこその人間、そんな風に考えられれば過度な期待はしなくなると船越洋平さんは指摘します。もちろんそれを抗いたくなるのが人間なのですが。

川尻征司HappyDay社長 なぜこの仕事で食べていこうと思ったのか

人材コンサルティングの仕事を手掛ける川尻征司さんは、人から嫌われることに慣れています。このように書くと川尻征司さんが嫌な人のように見えますが、人材コンサルティングという仕事そのものが人から何かと嫌われやすい職種だからです。人材コンサルティングはキャリアアドバイザーでもあり、会社の人事制度、評価制度にも関与することがあります。いわば評価する側に立ちやすく、評価される側に対してついつい辛辣な意見を持ってしまうことも。

人事に携わる人間は全員が全員冷淡でもなく熱血でもないため、常に相手に合わせながら仕事をすることが求められます。たとえどんな人物を目の前にしてもその人が納得する接し方をしないといけないわけですが、それが100%こなせれば苦労はしません。人材コンサルティングという仕事は思っている以上に大変なのです。

本当のことを言わないといけない職業

川尻征司

人材コンサルティングの仕事は本当のことを言わなければならない仕事でもあります。例えば、転職を検討する人に対して、あまりにも条件が厳しすぎるとなれば厳しすぎると言わなければなりません。どのように厳しいのかも伝えないといけないため、時にスキルと条件が見合っていないことを伝えることになり、険悪なムードになることもあります。しかし、本当のことを言わず、持ち上げるだけ持ち上げてダメだったときに依頼していただいた方はどのように思うでしょうか。

本当のことを言って、是正させていくことで転職の可能性を高めることができます。その作業を放置する時点で人材コンサルティングとして失格です。人間関係において相手に疑問を抱くことはあるはずです。これを言ったらケンカになるから言わないでおこうと誰しもが思うでしょう。それを言わなきゃ話にならないのが人材コンサルティングです。転職を希望する労働者ならまだしも、これが企業の人事担当者であれば余計に激論になりやすく、空気が重くなります。川尻征司さんが嫌われるというのはそういうことです。川尻征司さんはむしろうまく伝えられている方で、より辛辣な人だと相手に逆ギレされることもあるんだとか。それだけ大変な仕事です。

うまくいっても褒められない職業

川尻征司

人材コンサルティングという仕事は意外と相手から褒められない職業でもあります。そもそもコンサルティング業に対して経営者はコーヒーを飲む際のしゃべり相手程度に考えている人が多く、コンサルティングをつけたことで経営がうまくいった、大変感謝しているという話しはまず聞きません。相手の手柄は自分の手柄、相手のミスは相手のミスと言わんばかりにとても都合よく利用されてしまいます。それだけ人材コンサルティングという仕事はとにかく褒められません。

川尻征司さんが転職のお手伝いをしていた時も相手から褒められたことはほとんどなかったと言います。その理由として転職を目指す人は自分がそれなりにいいところへ転職できると思っているからです。自分の力、スキルで転職をつかみ取ったと言わんばかりで、川尻征司さんの手柄だと思う人は多くなかったと言います。でも、川尻征司さんはそのことに文句は言いません。人間とはそういうものだと割り切っているからです。

なぜ人材コンサルティングを仕事にし続けるのか

川尻征司

川尻征司さんはなぜ人材コンサルティングの仕事を続けるのか。その理由として人材をフル活用するお手伝いをしたいことを挙げています。今後少子化になれば、人材は段々と限られ、いずれは外国人労働者がある程度入り込むことになるでしょう。優秀な人材がいて外国人の方が多少安い賃金で働かせられるのであればおそらく外国人労働者が起用されるかもしれない、すると、日本人労働者は余りやすくフル活用できない可能性も出てくるでしょう。

人材コンサルティングになることで適材適所に人材をあてがうことができ、最大限余りのない形で無駄のない状況を作りだせればこれほどいいことはないのではないかと川尻征司さんは考えました。もちろん理想論と笑われることもあり、ショックを受けたこともありました。それでも人材コンサルティングという仕事は毎日がやりがい、働きがいを感じる日々であり、楽しいと振り返ります。

まとめ

川尻征司

人材コンサルティングは大変面白い仕事であり、川尻征司さんは人材コンサルティングを天職であると語ります。そこまで言わしめる面白さがあり、人材コンサルティングの奥の深さを感じることも多いようです。人材は宝であり、その宝をうまく光らせる、それが人材コンサルティングの面白さであり、醍醐味と言えるでしょう。

レーサム田中剛、会社立ち上げの理由とは?不動産ファンドをご紹介します。

資産運用をする際、株やFXを思い浮かべる人が多いでしょう。しかし、サラリーマンなどが資産運用をする際に注目されている方法があります。
それが不動産投資です。今では当たり前のように不動産投資が行われていますが、元々ポピュラーな投資方法ではありませんでした。

なんだか意外な印象を覚える人もいるはずです。多くの人が不動産を使った資産運用に挑もうとしてきました。その中の1つの会社が株式会社レーサムです。

株式会社レーサムを立ち上げた田中剛さんは強い信念をもって会社を立ち上げることにしています。いったいどのような信念、使命を抱いていたのか、そして、株式会社レーサムにどんな期待を持っていたのかを振り返ります。

なぜ田中剛さんはレーサムを立ち上げたのか

レーサム田中

田中剛さんはなぜ株式会社レーサムを立ち上げたのか、そこにはこんな思いがありました。
株式会社レーサムは一貫して資産運用事業を展開し、富裕層にターゲットを絞った事業を行ってきています。

これは会社設立の際に田中剛さんが、「収益不動産の流通市場を創る」ことを使命に掲げていたためです。収益不動産の流通市場は当時ありそうでなかった、というよりもバブル崩壊で、土地活用の部分まで頭に入っていないケースが多かったという部分もあり、田中剛さんが使命に感じたのかもしれません。

現在になって不動産資産は投資商品であるというような見方が生まれて、金融市場においてもトレンドになりつつあります。
一方で、こうしたトレンドは時にマネーゲームを誘発することになり、ムダなお金がどんどん飛び交うような状況を生み出します。
しかし、田中剛さんは、企業としての事業力を高めていくことがこの場合とても大事であることを感じていました。それはバブル経済における、土地の無秩序な上昇と無縁ではありません。

レーサムは最初から資産運用に適した物件を多くの顧客に提供してきたわけではありません。本来であれば買う対象にはない、売れるとは思わない、売買の対象になったとしても手間がかかりそうという物件を、レーサムが購入してフルモデルチェンジを行ってから売るというのを繰り返してきています。
コツコツと実直に田中剛さんが行ってきた事業の数々によって、利益を生み出してきました。資産運用とは言いながらも、ある意味実業に基づいた商売であると言えるでしょう。

田中剛さんが考えるファンドビジネスとは

レーサム田中

 

田中剛さん率いる株式会社レーサムは、元々レーサムリサーチという会社でしたが、レーサムリサーチ時代の1997年に開始したファンドビジネスを一旦中断しています。なぜファンドビジネスを一旦中断することにしたのか、それは事業力の養成です。
レーサムリサーチは銀行から不良債権となる不動産を買い取り、自分たちの資金で不動産のフルモデルチェンジを図り、新たな付加価値をつけて売買することを行ってきました。

それぞれのセクションで、いわゆる事業力というものが必要になり、それぞれの力を強化していくことが必要であると迫られていたのです。
これらをすべて自前で行うことができれば、それだけ事業力があるという証拠に。実際にすべて自前で行えるようになったのは2004年以降とされています。そして、2005年、不動産ファンドを立ち上げ、2000年の中断以来5年ぶりに不動産ファンドビジネスを本格的に再開したのです。

この5年の間で、銀行そのものが不動産ファンドビジネスに前のめりになっていたこと、そして、富裕層の人たちも強い関心を持つようになったことが背景にあったそうで、ここからレーサムの経営基盤は段々と強化されていき、現在多くの人がイメージとして持つレーサム像がが出来上がります。
その間も田中剛さんが精力的に活動し、会社をけん引し続けたのは言うまでもありません。

この当時の営業基盤を見ると、個人、事業法人、機関投資家、海外機関投資家がほぼ同じような取引金額で競っているような状態にあり、とてもバランスよく営業資産残高も残されていました。
多くの顧客層を開拓できたことだけでなく、色々な資産を仕入れることに成功したことで、その基盤はより盤石になっていったということでしょう。

田中剛さんが仕掛けた大型プロジェクト

レーサム田中

株式会社レーサムは、収益不動産を自前で手に入れて手を加えて売却し、利益を得ていましたが、高収益を求めるプロジェクトをわりと初期から手掛けていました。
1999年に最初に手掛けた大型プロジェクトが渋谷区宇田川町にあった150坪ほどのテナントビルです。100億円の評価額で、1坪あたり1億円の評価額と聞けば、それ相応の規模に思えますが、実際のところ、あまり収益性は高くなかったと言います。

収益性が高くなかった背景には当時入っていたテナントの賃料がかなり安かったためで、相場と比較しても相当安かったと言われています。
渋谷のど真ん中でありながら、もっと賃料アップが狙えるのにそれをしなかったために高収益にならなかった、そんな渋谷区のテナントビルをより収益力の高い状態にしたのが最初の大型プロジェクトです。

この次に行った大型プロジェクトが、開発型証券化プロジェクトでした。舞台となったのは港区白金で、既に500坪の土地があり、設計図もあったのですが、この状態で将来的な資産を証券化し販売しようとしたのです。

白金高輪ステーションビルは2003年にオープン、地下鉄と直結のビルにテナントが殺到、この時点で証券化は成功し、大手の保険会社が購入を決定します。

この次に手掛けた千代田区一番町のプロジェクトは国有地を競売で手に入れて開発を行ってから総合商社に売却した案件でした。

また若者が足を運ぶ原宿キャットストリートの好立地の場所にあったテナントビルも購入しています。築年数自体は30年もたっていない状態ながら、違法性がある物件でなかなか骨の折れる状態だったそうですが、この建物に入居しているテナントの移転をスムーズに行い、商業施設の誕生につなげています。

まとめ

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田中剛さんが取り組んできたことはとても意義のあることで、他の企業がやってこなかったことを一生懸命取り組んでいることは言うまでもありません。
最初のうちは売上的に苦戦しながらも、きっかけ1つで成長を見せ、株式上場までこぎつけ、成長を続けるのはさすがの一言と言えるでしょう。

もちろんこれらの活動は全て紹介できたわけではなく、まだまだたくさんあります。中には失敗に終わってしまったものもありますが、田中剛さんにとって、失敗は学び。決して後ろ向きに捉えていないところがさすがと言えます。
レーサムがより進化を遂げるために、今後どんなことに挑んでいくのか、注目していくべきでしょう。

元祖どないや社長(アドジックス社長) 藤末雅彦 会社情報や経歴について

日本全国に展開し、おいしいたこ焼きを提供するお店としても知られる株式会社アドジックス。運営する「元祖どないや」は大阪を中心に営業が行われるほか、フランチャイズ経営で全国に展開しており、元祖どないやの味を本場大阪だけでなく全国で食べられるのがポイントです。これまでの成り立ちを振り返りつつ、株式会社アドジックスについての紹介を行います。


株式会社アドジックスが設立されたのは2007年7月のこと。大阪を中心に運営されてきましたが、いち早くフランチャイズ経営を行う事を決め、全国に元祖どないやのお店が進出するようになります。元祖どないやのホームページには、どこに店舗があるかを示す店舗情報が掲載されていますが、通常北海道から順番に掲載されるところ、最初に関西エリアが出てくるのがいかにも株式会社アドジックスっぽいと言えます。全国展開において、傾向として目立つのは高速道路のサービスエリアへの出店です。全体のテナントが入る建物の外に店舗がありますが、並んでいるお客さんが多く、人気を集めるなど、口コミでも好評ぶりが伝わります。

好評なのは、元祖どないやでのサービスが特徴的であり、各店舗で雨の日サービスなどを行っています。たこ焼き8個で600円のところを500円にしてくれる他、学生はさらにそこから100円引きというリーズナブルな値段設定が特徴です。株式会社アドジックスではこのようなサービスを展開しており、日本全国でおいしいたこ焼きをリーズナブルにいただけるような取り組みを展開しています。その代表的なプロモーションが各方面とのコラボレーションです。色々な方とコラボレーションを行い、チリソースたこ焼きを購入した人を対象に、豪華景品が当たるキャンペーンを行いました。実は対象となるたこ焼きがポイントです。「今日も嫌がらせたこ焼き ねぎ超大盛り」という商品が対象に。タイトルにかけて、ネギを大量にかけられているうれしい嫌がらせがなされた商品です。それ以外にも「最高のソースマヨネーズたこ焼」と「最良のしょうゆたこ焼」が対象商品となりました。連動させて新たな商品を生み出すようにしており、そこが遊び心となっています。大阪特有の軽いノリ、そして、遊び心をふんだんに取り入れたタイアップ、これが元祖どないやの人気の秘密であり、株式会社アドジックスの強みでもあります。
実は株式会社アドジックス、たこ焼き屋さんだけではありません。同じ飲食でもホテルの飲食事業にも参入しています。その中の1つ、APGRILLは有名ホテルの中に入っているレストランデ、朝はビュッフェを行う他、日替わりランチで安く料理を提供している他、ステーキセットなども提供しており、様々な価格帯が設けられ、本格的な料理がいただけます。このようなホテルの飲食事業にも株式会社アドジックスは行っています。この他には、同じホテルでも清掃事業に関する仕事、飲食店のコンサルタント事業も展開するなど、ワイドに仕事を行っています。2019年1月現在でアルバイトなどを含め123名もの従業員が株式会社アドジックスで働いている状況です。Twitterでは元祖どないやの店舗がアカウントを作ってお店の紹介をするなど、自分たちで営業努力を重ねる姿も特徴的です。

年々タイアップする企業も増えるなど、その存在感はエンタメ業界でも浸透しつつあります。たこ焼きはもちろんのこと、様々な業界にウィングを伸ばしていくその姿は、経済界の注目も高まる一方です。

 

2022年7月追記

最近ではたこ焼きをサブスクで食べられるメニューが登場しました。

ユニークな施策でどんどん人気を伸ばしている元祖どないやに目が離せません。

武田塾フランチャイズを考えた林尚弘社長とはどんな人物?年収、経歴など詳細を公開。

日本初「授業をしない塾」として話題を集め、最近になって教室数が全国で400校舎を突破した武田塾。
参考書や問題集を1冊解き切ることを掲げ、多くの生徒を逆転合格に導いています。武田塾を立ち上げ、全国各地に展開させていったのが、林尚弘さんです。
大学時代に株式会社A.verを立ち上げて武田塾を開校した林尚弘さん。最初から順調なスタートでしたが、その成長スピードは緩やか。どこで成長スピードが一気に早まったのか。林尚弘さんの人となりをまとめました。

子供のころから違った林尚弘さん

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全国400以上の教室を束ねる林尚弘さんですが、千葉県市川市で生まれています。
生年月日は1984年11月19日生まれで、37歳です。
林尚弘さんの父親は証券マンで、子供の時からお金に対しての教育があったからか、ビジネスへの興味が強く、子供の時には既にビジネスでビッグになろうという気持ちがあったとか。

例えば、小学生の時には「せどり」と呼ばれる、フリマで安く仕入れて買取の店で高く売るということを行っていました。
小学生が「せどり」を行う、令和の時代でもなかなかすごい話ですが、それを平成初期に既にやっていたのですから、林尚弘さんは子供の時から只者ではありませんでした。

このせどりによって貯めたお金は20万円でそのお金は全部銀行の株を買うために使ったのだとか。
お金を貯めて買うものが銀行の株、何とも手堅い人物です。ちなみに、メジャーリーグで活躍したイチロー選手も学生の時には株を買っていたとのこと。バブル絶頂期に株価はどんどん上がったのですが、結局売れなかったのだとか。
イチロー選手は自らを「凡人」と例えるほど悔しかったようですが、実績を残す人たちは小さい時から株などに目覚めるのかもしれません。

武田塾起業の原点は自らが経験した屈辱にあった

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林尚弘さんは、中学時代から東京大学へ進学をしようと考えていました。そのために猛勉強を行い当時の選択肢の中で最も上の偏差値を誇っていた高校に合格します。当時の千葉県は学区が決められ、その学区に隣接した場所しか行けず、千葉県で一番の進学校、県立千葉高校は断念せざるを得ませんでした。県立船橋高校に進学した林尚弘さんは、高校1年生から塾に通い続け、東大合格を目指します。あれだけ勉強しても結果は振るわず、他の大学にも落ちる有様。

浪人生活に入ってもその傾向は変わらず、一進一退の日々が続きました。その中で林尚弘さんは、友人にアドバイスをもらいます。それは1冊の参考書を解いた方が成績は伸びるをしてもなかなか成績は伸びず、どうしたものかと頭を悩ませていた時、友人からあるアドバイスをもらいます。それは、1冊の参考書を完璧にした方が成績が伸びやすいというものでした。その友人曰く、家庭教師の先生にそのようなアドバイスをもらい、実践したら劇的に成績が伸びたとのこと。林尚弘さんも試しにやってみたら、同じく成績は急上昇。これをきっかけに学習院大学合格を果たします。

とはいえ、浪人をしてまで学習院大学に入ってどうするの?という空気感があったのか、たとえ学習院大学に入ったとしても林尚弘さんの心には挫折、屈辱があったのです。しかし、成功体験として参考書を解き切ればチャンスはあるというのがわかった林尚弘さん。これがすべてのきっかけとなります。

動き出すのが早かった林尚弘さんだが

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林尚弘さんが通っていた予備校は映像授業の学校で、学んだ気になっていただけで結局何の身にもなっていなかったことに気づきます。「授業ばかり受けさせてどうするのか、だったら自分が授業をしない塾を作ろうではないか!」と思いたち、大学1年生の時に武田塾の運営会社である株式会社A.Verを立ち上げます。高校3年で膨大な授業時間、加えて予備校の授業まで受ける、予備校の担任は営業としてはやり手で、生徒たちに言葉巧みに授業を取らせている、そんなことはあっていいのだろうかという義憤もあったのかもしれません。

最初のうちは家庭教師の派遣業務、資金をためてから武田塾を開校します。最初は10数人の生徒が中心でしたが、最初から今のような武田塾のスタイルでやっていき、初年度から難関大学の合格者を輩出。2年後には生徒数は100名を突破し、着実に実績を積み重ねていました。

しかし、そこから先がなかなか大変で、2つの教室を開校している状態が実に8年ほど続いたのです。増やしたいけど増やせない、現状でも十分だからそれでいいか、そんな感情を抱いていた林尚弘さんにとって劇的な出会いが待っていました。

きっかけは教育関係者の集まりだった

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山口県で行われた教育関係者の集まりに参加した林尚弘さん。参加者たちの中には塾の経営者もたくさんいます。その中で林尚弘さんも武田塾の現状を伝えていくと、そもそも授業をしない塾とは何かと驚かれます。そして、2つの教室でかなりの年収を誇っていたため、なぜそんなに稼げるのかとさらに驚かれ、後日、その時に知り合った教育関係者が教室にやってきて、フランチャイズでやらせてほしいと懇願されます。この時、林尚弘さんはフランチャイズとはどういうものか、よくわかっていませんでした。フランチャイズを成功に導く仕事をしている人物と知り合い、その人と一緒にフランチャイズ展開をした結果、2つの教室で1億円を稼いでいた年商は、5年もしないうちに10億円にまで膨れ上がったのです。

それ以降、フランチャイズ展開は急ピッチで行われていき、現在では全国で400以上の教室を抱えるまでに至ります。フランチャイズ展開に賛同する人たちは武田塾の理念やポリシーへの理解が深い人たちであり、熱心に協力してくれたこともあって、現在に至るまで大成功の年が続きます。

林尚弘さんの魅力とはなにか

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自らの失敗から、自分と同じような目に遭う人がいなくなればいい、業界に風穴をあけたいと考えた林尚弘さん、その思いは見事に結実し、集団塾や個別指導塾にとって決して無視できないライバルとなっていきます。林尚弘さんのこうした話は、武田塾の動画内やインタビュー、フランチャイズに関するチャンネルの動画内などで語られています。できるだけオープンになっている武田塾、林尚弘さんはできる限りの情報を公開します。本来であったら恥ずかしくて隠したいような話も惜しむことなく伝え、賛同を得ています。

恥ずかしい話でいえば、どこに投資をしてどれだけ赤字なのかという話までさらけ出し、スキを見せているのも林尚弘さんらしさを感じさせます。完璧な人物かと思いきや、実際は完璧ではなく、面白さも感じさせ、遊び心もある林尚弘さん。数年後には500店舗も十分に想定される中で、次はどのような選択をとるのか、そして、武田塾の新たな展開はあるのか、林尚弘さんの一挙手一投足に注目するとともに、今後の活躍から目が離せません。