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レーサム田中剛、会社立ち上げの理由とは?不動産ファンドをご紹介します。

資産運用をする際、株やFXを思い浮かべる人が多いでしょう。しかし、サラリーマンなどが資産運用をする際に注目されている方法があります。
それが不動産投資です。今では当たり前のように不動産投資が行われていますが、元々ポピュラーな投資方法ではありませんでした。

なんだか意外な印象を覚える人もいるはずです。多くの人が不動産を使った資産運用に挑もうとしてきました。その中の1つの会社が株式会社レーサムです。

株式会社レーサムを立ち上げた田中剛さんは強い信念をもって会社を立ち上げることにしています。いったいどのような信念、使命を抱いていたのか、そして、株式会社レーサムにどんな期待を持っていたのかを振り返ります。

なぜ田中剛さんはレーサムを立ち上げたのか

レーサム田中

田中剛さんはなぜ株式会社レーサムを立ち上げたのか、そこにはこんな思いがありました。
株式会社レーサムは一貫して資産運用事業を展開し、富裕層にターゲットを絞った事業を行ってきています。

これは会社設立の際に田中剛さんが、「収益不動産の流通市場を創る」ことを使命に掲げていたためです。収益不動産の流通市場は当時ありそうでなかった、というよりもバブル崩壊で、土地活用の部分まで頭に入っていないケースが多かったという部分もあり、田中剛さんが使命に感じたのかもしれません。

現在になって不動産資産は投資商品であるというような見方が生まれて、金融市場においてもトレンドになりつつあります。
一方で、こうしたトレンドは時にマネーゲームを誘発することになり、ムダなお金がどんどん飛び交うような状況を生み出します。
しかし、田中剛さんは、企業としての事業力を高めていくことがこの場合とても大事であることを感じていました。それはバブル経済における、土地の無秩序な上昇と無縁ではありません。

レーサムは最初から資産運用に適した物件を多くの顧客に提供してきたわけではありません。本来であれば買う対象にはない、売れるとは思わない、売買の対象になったとしても手間がかかりそうという物件を、レーサムが購入してフルモデルチェンジを行ってから売るというのを繰り返してきています。
コツコツと実直に田中剛さんが行ってきた事業の数々によって、利益を生み出してきました。資産運用とは言いながらも、ある意味実業に基づいた商売であると言えるでしょう。

田中剛さんが考えるファンドビジネスとは

レーサム田中

 

田中剛さん率いる株式会社レーサムは、元々レーサムリサーチという会社でしたが、レーサムリサーチ時代の1997年に開始したファンドビジネスを一旦中断しています。なぜファンドビジネスを一旦中断することにしたのか、それは事業力の養成です。
レーサムリサーチは銀行から不良債権となる不動産を買い取り、自分たちの資金で不動産のフルモデルチェンジを図り、新たな付加価値をつけて売買することを行ってきました。

それぞれのセクションで、いわゆる事業力というものが必要になり、それぞれの力を強化していくことが必要であると迫られていたのです。
これらをすべて自前で行うことができれば、それだけ事業力があるという証拠に。実際にすべて自前で行えるようになったのは2004年以降とされています。そして、2005年、不動産ファンドを立ち上げ、2000年の中断以来5年ぶりに不動産ファンドビジネスを本格的に再開したのです。

この5年の間で、銀行そのものが不動産ファンドビジネスに前のめりになっていたこと、そして、富裕層の人たちも強い関心を持つようになったことが背景にあったそうで、ここからレーサムの経営基盤は段々と強化されていき、現在多くの人がイメージとして持つレーサム像がが出来上がります。
その間も田中剛さんが精力的に活動し、会社をけん引し続けたのは言うまでもありません。

この当時の営業基盤を見ると、個人、事業法人、機関投資家、海外機関投資家がほぼ同じような取引金額で競っているような状態にあり、とてもバランスよく営業資産残高も残されていました。
多くの顧客層を開拓できたことだけでなく、色々な資産を仕入れることに成功したことで、その基盤はより盤石になっていったということでしょう。

田中剛さんが仕掛けた大型プロジェクト

レーサム田中

株式会社レーサムは、収益不動産を自前で手に入れて手を加えて売却し、利益を得ていましたが、高収益を求めるプロジェクトをわりと初期から手掛けていました。
1999年に最初に手掛けた大型プロジェクトが渋谷区宇田川町にあった150坪ほどのテナントビルです。100億円の評価額で、1坪あたり1億円の評価額と聞けば、それ相応の規模に思えますが、実際のところ、あまり収益性は高くなかったと言います。

収益性が高くなかった背景には当時入っていたテナントの賃料がかなり安かったためで、相場と比較しても相当安かったと言われています。
渋谷のど真ん中でありながら、もっと賃料アップが狙えるのにそれをしなかったために高収益にならなかった、そんな渋谷区のテナントビルをより収益力の高い状態にしたのが最初の大型プロジェクトです。

この次に行った大型プロジェクトが、開発型証券化プロジェクトでした。舞台となったのは港区白金で、既に500坪の土地があり、設計図もあったのですが、この状態で将来的な資産を証券化し販売しようとしたのです。

白金高輪ステーションビルは2003年にオープン、地下鉄と直結のビルにテナントが殺到、この時点で証券化は成功し、大手の保険会社が購入を決定します。

この次に手掛けた千代田区一番町のプロジェクトは国有地を競売で手に入れて開発を行ってから総合商社に売却した案件でした。

また若者が足を運ぶ原宿キャットストリートの好立地の場所にあったテナントビルも購入しています。築年数自体は30年もたっていない状態ながら、違法性がある物件でなかなか骨の折れる状態だったそうですが、この建物に入居しているテナントの移転をスムーズに行い、商業施設の誕生につなげています。

まとめ

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田中剛さんが取り組んできたことはとても意義のあることで、他の企業がやってこなかったことを一生懸命取り組んでいることは言うまでもありません。
最初のうちは売上的に苦戦しながらも、きっかけ1つで成長を見せ、株式上場までこぎつけ、成長を続けるのはさすがの一言と言えるでしょう。

もちろんこれらの活動は全て紹介できたわけではなく、まだまだたくさんあります。中には失敗に終わってしまったものもありますが、田中剛さんにとって、失敗は学び。決して後ろ向きに捉えていないところがさすがと言えます。
レーサムがより進化を遂げるために、今後どんなことに挑んでいくのか、注目していくべきでしょう。