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森田香央里アシストマーケティング代表が不安視する正義感の暴走

アシストマーケティングの代表を務め、ネット広告に関する事業を展開している森田香央里さんは、最近とても怖い体験をしたそうです。電車に乗った時、マスクをアゴにずらして仕事の電話をしている50代ぐらいの男性がいたのだとか。複数のマナー違反を犯しており、明らかに周囲は異様で怒気を含んだ空気になっていたそうですが、ここで1人の30代のサラリーマンがその男性に近づき、いきなり50代ぐらいの男性の胸倉をつかみ、マナー違反だろ!と怒りをぶつけていました。あまりの勢いに50代ぐらいの男性は驚き、マスクをしっかりと装着し、電話をしまい、その場を逃げるように立ち去っていきました。30代サラリーマンの正義感は素晴らしかったものの、それをただす際の態度があまりにも暴力的だったと森田香央里さんは恐怖を感じたそうです。

正しいことをするためにすべて正当化されるわけではない

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森田香央里さんが会社員の時代、常に正論ばかりを相手にぶつける上司がいたことを思い出しました。曲がったことが嫌いなのか、少しでもルール違反な行為を見つけたら厳しく叱り飛ばし、それが自分の上司だったとしても苦言を呈するなど、ある意味一貫性がありつつ、誰からも好かれない存在になっていたことを森田香央里さんは思い出します。人事査定の場では、とにかくその上司が査定に加わると低評価の連続で、高評価の人がいないのではないかというくらい、芳しくない評価が並んでいました。さすがに会社側も、ちょっとおかしいのではないかと上司と話をしようとするも、自分は正しいことをしたまでだと取り合ってくれません。明らかに空気が悪くなり、パフォーマンスが落ちていったため、会社はこの上司を別の部署に異動させます。

森田香央里さんがこの件で感じたことは、正しいことをしているならば何をしてもいいわけではないということです。曲がったことが嫌いだった上司が唯一評価されたのは、社員の残業をすべて認めたことでした。そのため、上司の部署は残業代がかなりかかっており、会社からすると嫌だったのかもしれません。正しいことのためならどんなことをしてもいいわけではなく、時に害毒になることを教わったと森田香央里さんは皮肉交じりに語ります。

正義感にあふれる人は単なるトラブルメーカー

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理不尽な思いをする人はなぜ理不尽な思いを甘んじて受け入れてしまうのかですが、もし反旗を翻した場合のリスク、メリットとデメリットをしっかりと考えているからです。例えば、上司が自分勝手な振る舞いをしていて、周囲の人たちはかなり振り回されていたとします。そこで、お前はおかしい!と部下が言い出したらどうなるでしょうか。上司は当然怒りますし、さらに上の上司に処分を求めるでしょう。しかも、さらに上の上司がこの上司を評価していた場合、その人は単なる反乱分子に過ぎません。結局処分を言い渡され、会社を辞めざるを得なくなれば、余計に周囲の人は何も言えなくなるはずです。

正義感の暴走を起こす人は、基本的に誰かと徒党を組むことはせず、いわば正義のヒーロー気取りであると森田香央里さんは口調を強くします。単なるトラブルメーカーに過ぎないと考えており、存在自体がリスクであると語ります。学生時代、教師に歯向かう同級生がいましたが、結局誰かが加勢していた様子はなく、常に1人が疑問をぶつけ、軽くあしらわれていたのです。

ビジネスと正義感の暴走は意外に近い

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正義感の暴走はあまりいいことではないと森田香央里さんは考えており、同時に正義感の暴走はビジネスの世界でも存在すると語ります。基本的に会社員はチームプレーで仕事を行い、その中で個人的な動きをとっていきます。全て個人の判断で仕事ができるところは少なく、何かしらの影響を受け、組織は個人に与えていくわけですが、当然末端の人たちはどこかでいら立ちを覚えます。俺のやり方の方が合っているとか、会社のやり方は間違っていると考え、この方が正しいと様々な形で直談判を仕掛け、たいていの場合は退けられます。暴走が進むと会社を飛び出すこともあるでしょう。

組織のやり方はおかしいと思い込み、指定したやり方通りにやってくれないのは、ある意味で正義感の暴走です。この状態になってしまうと収拾がつきにくくなります。正義感が暴走する人にデキるビジネスマン、キャリアウーマンはいないという持論を森田香央里さんは持っています。本当にデキるビジネスマン、キャリアウーマンは根回しを徹底し、仲間を作ってから反旗を翻すのです。義憤がきっかけだとしても感情のコントロールができる、それが優秀な人物です。