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武田塾フランチャイズを考えた林尚弘社長とはどんな人物?年収、経歴など詳細を公開。

日本初「授業をしない塾」として話題を集め、最近になって教室数が全国で400校舎を突破した武田塾。
参考書や問題集を1冊解き切ることを掲げ、多くの生徒を逆転合格に導いています。武田塾を立ち上げ、全国各地に展開させていったのが、林尚弘さんです。
大学時代に株式会社A.verを立ち上げて武田塾を開校した林尚弘さん。最初から順調なスタートでしたが、その成長スピードは緩やか。どこで成長スピードが一気に早まったのか。林尚弘さんの人となりをまとめました。

子供のころから違った林尚弘さん

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全国400以上の教室を束ねる林尚弘さんですが、千葉県市川市で生まれています。
生年月日は1984年11月19日生まれで、37歳です。
林尚弘さんの父親は証券マンで、子供の時からお金に対しての教育があったからか、ビジネスへの興味が強く、子供の時には既にビジネスでビッグになろうという気持ちがあったとか。

例えば、小学生の時には「せどり」と呼ばれる、フリマで安く仕入れて買取の店で高く売るということを行っていました。
小学生が「せどり」を行う、令和の時代でもなかなかすごい話ですが、それを平成初期に既にやっていたのですから、林尚弘さんは子供の時から只者ではありませんでした。

このせどりによって貯めたお金は20万円でそのお金は全部銀行の株を買うために使ったのだとか。
お金を貯めて買うものが銀行の株、何とも手堅い人物です。ちなみに、メジャーリーグで活躍したイチロー選手も学生の時には株を買っていたとのこと。バブル絶頂期に株価はどんどん上がったのですが、結局売れなかったのだとか。
イチロー選手は自らを「凡人」と例えるほど悔しかったようですが、実績を残す人たちは小さい時から株などに目覚めるのかもしれません。

武田塾起業の原点は自らが経験した屈辱にあった

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林尚弘さんは、中学時代から東京大学へ進学をしようと考えていました。そのために猛勉強を行い当時の選択肢の中で最も上の偏差値を誇っていた高校に合格します。当時の千葉県は学区が決められ、その学区に隣接した場所しか行けず、千葉県で一番の進学校、県立千葉高校は断念せざるを得ませんでした。県立船橋高校に進学した林尚弘さんは、高校1年生から塾に通い続け、東大合格を目指します。あれだけ勉強しても結果は振るわず、他の大学にも落ちる有様。

浪人生活に入ってもその傾向は変わらず、一進一退の日々が続きました。その中で林尚弘さんは、友人にアドバイスをもらいます。それは1冊の参考書を解いた方が成績は伸びるをしてもなかなか成績は伸びず、どうしたものかと頭を悩ませていた時、友人からあるアドバイスをもらいます。それは、1冊の参考書を完璧にした方が成績が伸びやすいというものでした。その友人曰く、家庭教師の先生にそのようなアドバイスをもらい、実践したら劇的に成績が伸びたとのこと。林尚弘さんも試しにやってみたら、同じく成績は急上昇。これをきっかけに学習院大学合格を果たします。

とはいえ、浪人をしてまで学習院大学に入ってどうするの?という空気感があったのか、たとえ学習院大学に入ったとしても林尚弘さんの心には挫折、屈辱があったのです。しかし、成功体験として参考書を解き切ればチャンスはあるというのがわかった林尚弘さん。これがすべてのきっかけとなります。

動き出すのが早かった林尚弘さんだが

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林尚弘さんが通っていた予備校は映像授業の学校で、学んだ気になっていただけで結局何の身にもなっていなかったことに気づきます。「授業ばかり受けさせてどうするのか、だったら自分が授業をしない塾を作ろうではないか!」と思いたち、大学1年生の時に武田塾の運営会社である株式会社A.Verを立ち上げます。高校3年で膨大な授業時間、加えて予備校の授業まで受ける、予備校の担任は営業としてはやり手で、生徒たちに言葉巧みに授業を取らせている、そんなことはあっていいのだろうかという義憤もあったのかもしれません。

最初のうちは家庭教師の派遣業務、資金をためてから武田塾を開校します。最初は10数人の生徒が中心でしたが、最初から今のような武田塾のスタイルでやっていき、初年度から難関大学の合格者を輩出。2年後には生徒数は100名を突破し、着実に実績を積み重ねていました。

しかし、そこから先がなかなか大変で、2つの教室を開校している状態が実に8年ほど続いたのです。増やしたいけど増やせない、現状でも十分だからそれでいいか、そんな感情を抱いていた林尚弘さんにとって劇的な出会いが待っていました。

きっかけは教育関係者の集まりだった

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山口県で行われた教育関係者の集まりに参加した林尚弘さん。参加者たちの中には塾の経営者もたくさんいます。その中で林尚弘さんも武田塾の現状を伝えていくと、そもそも授業をしない塾とは何かと驚かれます。そして、2つの教室でかなりの年収を誇っていたため、なぜそんなに稼げるのかとさらに驚かれ、後日、その時に知り合った教育関係者が教室にやってきて、フランチャイズでやらせてほしいと懇願されます。この時、林尚弘さんはフランチャイズとはどういうものか、よくわかっていませんでした。フランチャイズを成功に導く仕事をしている人物と知り合い、その人と一緒にフランチャイズ展開をした結果、2つの教室で1億円を稼いでいた年商は、5年もしないうちに10億円にまで膨れ上がったのです。

それ以降、フランチャイズ展開は急ピッチで行われていき、現在では全国で400以上の教室を抱えるまでに至ります。フランチャイズ展開に賛同する人たちは武田塾の理念やポリシーへの理解が深い人たちであり、熱心に協力してくれたこともあって、現在に至るまで大成功の年が続きます。

林尚弘さんの魅力とはなにか

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自らの失敗から、自分と同じような目に遭う人がいなくなればいい、業界に風穴をあけたいと考えた林尚弘さん、その思いは見事に結実し、集団塾や個別指導塾にとって決して無視できないライバルとなっていきます。林尚弘さんのこうした話は、武田塾の動画内やインタビュー、フランチャイズに関するチャンネルの動画内などで語られています。できるだけオープンになっている武田塾、林尚弘さんはできる限りの情報を公開します。本来であったら恥ずかしくて隠したいような話も惜しむことなく伝え、賛同を得ています。

恥ずかしい話でいえば、どこに投資をしてどれだけ赤字なのかという話までさらけ出し、スキを見せているのも林尚弘さんらしさを感じさせます。完璧な人物かと思いきや、実際は完璧ではなく、面白さも感じさせ、遊び心もある林尚弘さん。数年後には500店舗も十分に想定される中で、次はどのような選択をとるのか、そして、武田塾の新たな展開はあるのか、林尚弘さんの一挙手一投足に注目するとともに、今後の活躍から目が離せません。