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川崎千春 起業家 株式会社オリエンタルランド

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現在年間で数千万人の来場者が記録されるなど、国民的テーマパークといっても過言ではないほど、日本国民ならだれもが知る東京ディズニーランド。この東京ディズニーランドは株式会社オリエンタルランドが運営していますが、創業者、初代社長として引っ張ってきたのが川崎千春さんです。1903年4月5日生まれの川崎千春さんは茨城県の出身です。1927年、東大の前身、東京帝国大学経済学部を卒業すると、川崎信託、現在の三菱UFJ信託銀行に入社し、経理畑を歩みます。1939年経理課長の時、現在の京成電鉄にあたる会社で社長を務めていた後藤圀彦氏に誘われ、京成電鉄に入社。その後、取締役を経て、1958年、55歳の時に社長となります。時代は高度経済成長、どんどん土地開発や不動産開発を行い、京成グループを大きく発展させ、当時建設が予定されていた成田空港への新線も作っていました。


東京ディズニーランドを誘致した人物としても知られていますが、そのきっかけはバラを買い付ける目的でアメリカに行き、当時開業したばかりのディズニーランドを見て、感銘を受けたためです。1958年にディズニーランドと出会ったものの、それを誘致するのは生半可な努力では難しく、1961年初めてディズニー側と接触してから10数年交渉を担当。ところが、京成側がここまでに手広くやりすぎたこともあって、経営危機状態になったこともあり、川崎さんはオリエンタルランドの社長、京成の社長いずれも退くことになり、会長として側方支援にあたります。しかし、この頃にはディズニーランドが日本にやってくることが決まり、川崎さんはその道筋をつけたのを見届けで退いたという形です。


1983年に東京ディズニーランドが開園した際には相談役になっていた川崎さんも呼ばれ、オープニングセレモニーでは涙ぐんでいたとか。その後、京成は長らく無配状態が続きましたが、東京ディズニーランドの大成功などもあって、劇的な回復を見せます。これらの活躍、復活を見届けるように、1991年6月6日川崎さんは88歳の生涯に幕を下ろします。川崎さんがディズニーランドを見て感銘を受けていなければ千葉県舞浜にディズニーランドがあったかどうかはわかりません。偉大なことをしたにもかかわらず、実はあまり名前は知られていないというのは残念ですが、間違いなく日本の発展に寄与していると言えるでしょう。売り上げは実に4000億円、総資産は7000億円、日本を代表するテーマパークには川崎さんの尽力が大きく影響しています。